ぐうのね雑記

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女が女を捨てる日

ムダ毛処理をやめた外国の女性についてのネット記事を読んだことがある。

 

ムダ毛処理をやめたとあるがそれは全身徹底していて、手足などはもちろん、眉毛や顔の産毛もである。

 

彼女の写真が掲載されていたのを見て驚いた。きれいな若い女性なのに眉はほとんど繋がっていて、ヒゲもうっすらある。

 

それから私は女性の「最低限の身だしなみ」とされることについて考えるようになった。

 

私も女なので頻繁にムダ毛────顔、手足、脇など────の毛は処理している。シェービング用のジェルをつけて、カミソリで剃るのだ。冬場はまだいいが、夏は手足脇を出す格好が多いから3日に1度くらいは剃らなくてはいけない。毛はすぐ伸びてくる。

 

はっきり言ってかなり面倒だ。女性はムダ毛が薄いと信じている人もいるが、そんな訳はない。中には薄い人もいるかもしれないが、大抵の女性は頻繁に剃ったり抜いたり脱毛したりしている。

 

無論肌に負担がかかる。剃ったあとジェルやクリームなどで保湿してもカミソリ負けして赤くなったりボツボツができたり、埋没毛といって生えてくる毛が皮膚に埋もれてまた肌トラブルになる。なのでまたスクラブなどを使ってケアする。

 

それに疲れた友人はお金を出して永久脱毛(といっても個人差があってまた生えてくることなどザラにある)に通ったりしていた。

 

そもそも私は…私達は、なんのためにこんなことをしているのだろう?

お金と時間と手間をかけてムダ毛を処理している。なぜ?なんのために?

なぜムダ毛があってはいけないのだろう。頭の毛……頭髪はあんなに大切に伸ばすのに?

 

 

同じことを化粧にも当てはめて考えた。

 

最近は「人前では化粧をしないとマナー違反」のような風潮は少しずつ緩和されているようにも思うが、それでもあらたまった席や仕事に行くときは多少なり女性は化粧をする。

 

もちろん化粧が好きな女性は多いが、私は化粧が嫌いなのだ。

低刺激性の化粧品を買っても肌に合わないし、どんなにサラサラのつけ心地を謳う商品でもやはりつけているときは顔がベタベタするから居心地が悪い。

 

しかもその日のうちに専用のクリームなどでしっかり落として寝ないと肌が荒れる。どんなに疲れていても化粧をしていたらちゃんと落として顔を洗わないといけないのだ。

 

なんのためにこんなことをしているのだろう?

 

「男性からの目を気にしているから」という人もいる。しかし私はどちらかというと同性の、つまり女性からの目のほうが厳しいように思うのだ。

 

ムダ毛なんか伸ばし放題、髪も肌も爪も手入れせず、すっぴんで着古した服のまま出歩く女性に厳しいのは……体感だと女性の方が多い気がする。

 

家族に、友人に、親戚に、知人に…女性によく言われた。

 

「もっとおしゃれしなよ」

「女捨ててるね」

 

 

「女を捨てている」…。

〈人は女に生まれるのではない、女になるのだ〉はボーヴォワールの言葉だが、女性が身だしなみに気を使わないと女を捨てていると言われるのは奇妙だ。

 

生まれた性から逃れることがそう簡単ではないのは誰もが知っているのに、それでも気軽に「捨ててる」と口に出す。

 

「女を捨てている女」は、だらしなくて、みっともなくて、垢抜けない。

そういうイメージなのだろうか。誰が決めたわけでもないのに、私達はその見えない鎖にかんじがらめにされている。お互いがお互いを監視し、評価し、裁いているかのように。

 

奇妙な話である。

 

多大なお金と時間とエネルギーをつぎ込んで、私達は周囲に「私はまともな女です」とアピールしている。いや、アピールさせられている。

 

 

冒頭の「毛を剃らなくなった女性」の記事の中に、「通りすがりの男性に『毛を剃れ』と言われた」というエピソードも紹介されていた。

 

毛を剃らないからといって誰に迷惑をかけているわけでもないのに、通りすがりの女性に毛を剃れとわざわざ口を出すその人も大概おかしいが、そもそもなぜ他人の毛があるだのないだのに他人がそこまで注意を払うのか?

 

本当にくだらない話ではないか?

 

なぜ?誰のために?誰に好ましいと思われるために私達は身だしなみを整えるのか?誰がそう望んだのか?私自身は本当にそう望んでいるのか?

 

本当に?心の底から?

 

 

私は最近試しに化粧をせず脚の毛を伸ばしっぱなしにして出歩いている。なんなら下着(ブラジャー)もつけずに出かける。

 

はじめは何か悪いことをしているかのような気分で、人に笑われているのではとヒヤヒヤしたが、だんだん慣れてきて平気になった。

 

そもそも誰もそこまで私に注意を払っていない。中には私を注視する人もいるが、ほとんどの人は気にもとめない。

注視した人だって、数時間もすればすっかり忘れているだろう。

 

通りすがりでしかない人─────物理的にも精神的にも─────の目に怯えている自分は滑稽だ。他人から受け入れられるかどうかにそこまで注意を払い、自分を人並みに切りそろえる必要が果たしてあるのだろうか?

 

私はそうは思わない。

私が捨てるべきなのは、自分の中にしか存在しない「常に女であれ」とたしなめる誰かなのだ。